ドラマ「問題のあるレストラン」
2015年にフジテレビで放映されていたテレビドラマをFODで見た。
放映されていた当時の反響はわからないが、ジェンダーや家族感の描き方が、少し説教染みて感じられる。
その後の坂元脚本作品である「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」のようなセリフの応酬や圧倒されるようなテンポ感はこの作品ではまだ感じられない。
主人公田中たま子(真木よう子)の聖人ぶりは少し疑問が残るが、周りを取り囲むキャラクターの個性押しすぎ、ダメさ加減がそのバランスを取っていた。
「田中たま子」と「真木よう子」の感じとひらがなのバランスが一致しているのは偶然か?
気になったのは雨木千佳(松岡茉優)が雨木社長(杉本哲太)の娘という設定が第1話でしか機能していなく、最終話で雨木の息子に千佳が話しかけるところでは思い出したようにその設定を出してきたような印象を受ける。作り手もこの設定がお守りになっていたのではないか。
今となっては東出昌大がイケメンシェフを演じている時点で興ざめしてしまうところもあるが、料理ドラマ定番の食事シーンでは品の良さが出ていて良い。
田中から門司(東出昌大)にされる傘の話(誰か一人が傘を盗み、それに気づかず盗まれた人は別の傘を使い、またその傘の持ち主が別の傘を使い・・・ということが続くと、途中で傘を取って行った人は意識的でなくても同罪だという話)は、このドラマ全体を包括しているセクハラ事件、さらには社会全体を包んでいる男尊女卑思想に通ずるテーマとなっている。このテーマの説明は綺麗だった。
川奈藍里(高畑充希)の立ち位置が良く、セクハラを「受け流す」ことのできる、男性社会で「うまく」生きている女性を演じ、彼女はその現場を得るために様々なものを受け入れ、捨ててきたと吐露するシーン(教習所を卒業することに例えられる)は忘れがたい。
男性として生きてきた自分が、女性・多様性に寛容であると信じているところを再考させられる。
『「問題」のあるレストラン』の「問題」は単にトラブルを表しているのではなく、これまでマジョリティ側が見て見ぬ振りをしてきたテーマを現前化しただけであることを強く感じる。
最終話でのきゃりーぱみゅぱみゅを入れたコップでの演奏(CAPSというらしい)をはじめとする、謎の時間が少なからずあったが、最終的なほっこり感は丁度良いドラマであった。