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映画、舞台、ドラマ、本など見聞きしたコンテンツの感想メモを残そうと思います。人に読まれることを前提としていていません(と一応書いておきます)ので、稚拙な文章はお許しください。

ドラマ「それでも、生きてゆく」第2話 第3話

それでも、生きてゆく」2、3話を続けてみた。

洋貴と双葉の関係が近づく第2話、洋貴の母親である響子(大竹しのぶ)が描かれる第3話。

 

三崎家に嫌がらせの電話が続き、仕事をクビ、婚姻相手から別れを告げられるなど、加害者家族を取り巻く社会からの冷たい目が描かれる。

三崎文哉の事件当時、まだ生まれていなかった双葉の妹が「私は(加害者家族という理由で)仕事をクビになったり、恋人からフラれたりするのは嫌だからね」という台詞を残す。事件当時に存在している/していないというだけで、事件の当事者になる加害者家族の不条理さが滲み出ている。

またのちに誤解と判明するが、加害者家族がクリスマスケーキを買うところを目撃した、被害者家族。被害者家族にはクリスマス、正月、七夕もなかったと伝える洋貴。通常に生きる、幸せに暮らすというところにイベントを持ち出してくる表現は秀逸である。

「加害者」「被害者」という記号的な意味が付加されるだけでここまで扱いが変わるのかと思う一方で、サッカーW杯の遠藤選手のゴールにそこまで興奮できなかったと共感する洋貴と双葉を見て、やはり記号的に付けられた社会のレッテルのようなものは何なんだと感じる。

双葉が洋貴の前で口紅を落とした時に、双葉は「拾ったものです」というが、洋貴は「別に加害者家族が口紅付けるなと思ってないですよ」と返答する。「ただ生きる」ということ自体がこんなにも窮屈で、外からの視点が入っているのだと再認識させられる。

双葉は、兄が冤罪かもしれないと思わないと生きていけないことがわかるが、その双葉も兄に殺されかけた過去を持つ。

2話の最後に洋貴が「僕ら」という主語を使用して、加害者家族/被害者家族をWeと表現したことは特筆に値するのではないか。

 

第3話では三崎家に嫌がらせの電話、ビラを作製していたのは、洋貴の母親の響子であったことがわかる。

亜季が殺される前に、姦淫の有無について言葉には出さないがずっと悩んでいた響子。

洋貴と双葉の調査によって、姦淫はなかったとわかる。

姦淫の有無によって具体的に何かが解決されたわけではないが、「わからないことが一番苦しいこと」という双葉の通り、何年も前のことでも一つずつ向き合うことが必要とされるのだと感じる。

事件当時に三崎家が住んでいた家はすでに壊され、空き地となっていた。家や土地というものも記号的なものであり、それ自体に大きな意味がないことがわかる。ただ双葉にとってはその前を通るときに「目をつぶらないと通れない場所」であることが描かれていた。

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